その後サーベルタイガーを解散し、美容師になる決意をしていた時
友人のYOSHIKIに「一緒にやらない??」
と誘われ承諾。Xの歴史がここにはじまる
1989年衝撃デビュー
その後紅白に出場日本のレコード賞を総なめにする
1993年 hide名義でソロデビュー原宿の巨大スクリーン全占拠
その後多くの名曲をのこす
1997年12月31日 東京ドームにてX JAPAN THE LAST LIVE
このステージはHIDEにとっても最後のライブとなる・・・
1998年1月1日 朝日新聞の一面を使い「hide with spread beaber始動 1st single ROCKET DIVEリリース」を告知
1998年5月1日 ロケットパンチ!!の取材に応じ ROCKET DIVE, PINK SPIDER , EVER FREE,DOUBTを演奏。その時のビデオ(hide LAST WORKS 121日間の軌跡)では終了後hideはいつもどうり微笑んでいた
1998年5月2日 打ち上げで呑み、酔ったhideはマネージャーである弟に家まで送ってもらい「お前には家族がいるんだから家に帰れ」と言って弟を帰す
1998年5月2日午前8時52分 家のドアノブで首を吊っているのを婚約者が発見病院に運ばれるが死亡が確認される(享年33)
1998年5月4日 yoshkiがロサンゼルスから帰国。各地であいついだ後追い自殺をやめるよう説得
1998年5月5日 関係者300人のみで密葬を行う
1998年5月6日7日 通夜、告別式献花台には2キロの行列ができ、美空ひばり、尾崎豊の葬儀のときの参列者をはるかに上回る数だった
出棺時霊柩車を追いかけるファンが相次ぎ現場は大混乱
四十九日をもってお骨は三浦霊園に納骨され、残りの1部はロサンゼルスの海に散骨された
hideの死に関してはさまざまな説があるがファンの前で「自殺」と言うことは許されることではない
hideの墓は神奈川県三浦市の三浦霊園にあり、昔のhideのファンクラブ(JETS)では行ってはならない場所とされていたが、今は地図も公開されており誰でも気軽に墓参りができる
そのご12月13日、5月2日には川崎クラブチッタでFILM GIGが10年たった今でも毎年行われてる
2000年には日本のアーティストとしては初となるhide museumが開館
またhideが立ち上げたLEMONED SHIOPは現在も営業中である
2007年10月22日 X JAPANがお台場アクアシティ屋上にて新曲I.V.のPV撮影。事実上の復活
その際HIDEのポジションには初期に使用していたMG-145Xが置かれていた
2008年3月28日29日30日 X JAPAN攻撃再会2008I.V.破滅に向かってを東京ドームにて行う
28日と30日のART OF LIFEでHIDEが実に10年振りにホログラムでスクリーンの外に現れた
2008年5月3日4日 hide memorial summit開催多くのhideを尊敬するアーティストが出演。
この際LUNA SEAがhideのSCANNERをカバーした理由として
HIDEとLUNASEAのRYUIGHIが初めてコラボした際にSCANNERを歌ったことが一番の理由であると言われている(当時の曲名は 愛のデュエット?である)
ちなみにhideとHIDEの二つの表記がある理由は
ソロの際は小文字で
X JAPANの時は大文字でと言う
ファン黙認の表記の仕方である。(もっともhide自身もそのように区別していた)
③に続く
おまけ
今日のオープンキャンパスは今野研究所がおもしろかった

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